調査報告(2)

前回の続き。
行政の満足度について、忘れたことを一つ。肝心な職業との関連を忘れていた。以下の図は、職業の区分と各集団の満足度の平均値をプロットしたもの。自由業の人たち、主婦や学生の平均値が高くなっており、漁業を生業としている人たちの平均値が低くなっている。集団間の平均値に違いがあるかどうかを調べてみると、5%水準で有意差があった。


■コミュニティ意識

さて、ここからは、人々のコミュニティやコミュニティへの参加に関する考えかたについて報告していきたい。まず、地域社会に行政がどう関わってほしいのかという観点からデータを見てみよう。以下のグラフをご覧いただきたい。


多くの人たちが、地域問題の解決を行政に頼ろうとは思っていないことがうかがえるし、さらに地域の自主性の重要性を認識している。また、大震災の影響もあるかもしれないが、住民間の絆を重視する意見が多くなっている。しかし、このことは決して、行政になにも期待をしていないということではない。


このように、市民は行政とのいわゆる「協働」を求めつつ、同時に地域づくりに指導力を求めている。では、市民は行政にどのような「指導力」を求めているのだろうか。
他のデータからぼんやりとした輪郭を浮かび上がらせてみよう。
ところで、人々のコミュニティ意識や地域参加に関する意識を聞いた設問の結果を見てみよう。
 コミュニティ意識について、あえて少し極端なことを聞いてみた。

70代以外では、否定的意見が肯定的意見を上回っており、全体を見ても否定的な意見が多数を占めている。しかし、地域の未来に希望がないからといって地域づくりを無意味なものとしてとらえているわけではない。


一目で分かるように、大多数の人は地域づくりを無意味なものとして思っているわけではない。こうした意見は、次のデータからも裏付けられるだろう。

これらの結果から、半数以上の人たちが地域社会に参加したいと思っていることと地域社会とのつながりを大切に考えていることが分かる。このように潜在的に、多くの人たちは地域社会で活動したいと思っている。
 ところで、別の設問でリーダーになってもよいかどうかを聞いてみた。結果は以下の通り。

50代、60代でリーダーになってもいいと答えた人の割合が他と比べて高くなっている。ただ、リーダーになってもいいと答えた人は、全体としては多くない。先の質問「住みよい地域づくりのために自分から積極的に活動していきたい」と比べると明らかに肯定的意見が減少している。つまり、多くのひとは住んでいるところを住みよい地域にしたいけれども、自分がリーダーにはなりたくないと思っているようである。
こうした結果から判断するに、多くの人たちは、自ら先頭に立って地域づくりをおこなうのではなく、「みんなで」地域づくりを「積極的に」おこないたいと思っているといえるだろう。簡単にいえば、だれかが地域づくりのリーダーになってくれれば自分もやるという意識がある。ここで注意しておきたいのは、地域社会へ参加したいと思っているのは、各年代であまり異ならないということである。近年シニアの社会参加ということが話題となっているが、以上の結果を見る限り、社会参加を呼びかける対象はシニアに限らなくてもよいし、全世代を対象に社会参加を訴えかけるべきだと考えられる。その場合、訴えかける対象に応じて呼びかけかたを考慮する必要があると思われる。次の図を見ていただきたい。


50代、60代の人たちは、利己的な動機で参加しようとする割合が少ないが、20代から40代の人たちは、利己的な動機があれば参加するというように答えている。下の表は、回答者のなかから20代から60代を抽出し、更に20代〜40代のグループと50代〜60代のグループの二つに分け、同じ設問についてクロス表を作成したものである。

χ二乗検定をおこなってみると、1%水準で有意であった。20代〜40代と50代〜60代で異なった傾向がみられるということが明らかとなった。
 こうした結果を見ると、シニアには利他性や公共性に関わる活動を紹介し、そうでない人たちには参加によってなにかしらの利益が得られるような活動を紹介するなどの方策が考えられるだろう。(それがどのようなものであるかは、分からないけども…。もしくは利他性は自己性に結びつくというビジネス道徳みたいな論理で攻めるとか…?)

 ここで、行政の役割という論点に戻ろう。先に見たように、人々は地域の自主性・自立性やその絆の重要性を認識しており、地域へと進んで参加したいと思っている人も多い。また一方で、地域づくりにおいては行政との協働とリーダーシップを求めている。これらは、一見矛盾する方向性を持っている。データを見ながら分かってくるのは、これまで述べてきたような市民のなかにある地域参加に関する「積極性」と「受動性」である。こうした二面性は、おそらく日本全国どこの地域にもみられるものだろう。こうしたことは、アンビヴァレントな意識を持つ市民が多数を占めるなかで、協働という名のもとに行政がどこまでリーダーシップを発揮するべきかという問題に関わっていると思われる。
 暫定的な意見としてあえていっておくならば、抽象的な議論で申し訳ないが、現在行政に求められているのは、行政が市民のなかにある「受動性」を「積極性」へと転換させることである。レトリカルにいえば、受動的な態度から「積極性」へと転換させるための(行政の)「積極性」が必要だと思われる(人々のなかからときどき聞こえてくる不満は、そうしたことに「消極的」、というか逆行する行政の姿である)。この点については、もうすこし深く考えたい。(つづく…と思う)

(もりやま)