沖縄のハンセン病療養所退所者

 自分の研究 - からつ大学交流連携センタースタッフ日記からの続きです。
 今回は、最近私(Y.K)が主として考えている、沖縄のハンセン病療養所退所者について書かせていただきます。
 また長くなるので表示形式を変えます。関心がある方は以下をクリックしてください。

療養所からの退所

 沖縄は太平洋戦争後米国統治下に置かれました。
 そのこともあり、ハンセン病関連の制度も日本本土のものとは異なるものとなっていました。
 特に大きな違いがあるのが、1961年に公布された「琉球ハンセン氏病予防法」です。
 この法律では、病気を軽快させた患者さんは療養所から退所することが可能であること(退所規定)と、療養所に入る必要のない患者さんは自宅に居ながらの治療ができること(在宅治療規定)が明記されていました。
 日本本土でもhttp://www.eonet.ne.jp/~libell/hanketu-2.htm#zanteitaisyoというものがあり、(この「準則」以前から)実際は退所者がいたのですが、この「準則」が適用されることはなかなかなかったとされています。
 それに比べて、沖縄では法律として退所規定と在宅治療規定が明記されていたわけで、日本本土よりも開放的な状況であったと言えます(とはいえ、患者さんが完全に自由であったわけではないですし、何の苦労もしなかったわけではないのですが)。


退所者ならではの苦労

 こういう規定があったため、沖縄では日本本土よりも多くの療養所退所者がいました。
 しかし、退所できたからと言って、その後完全に何の苦労もなく暮らせたわけではないのは事実ですし、その点では日本本土と変わらない状況にあったと言えます。
 たとえば退所者は、「ハンセン病に罹っていた/療養所に入っていた」ということが周囲に知られると嫌がらせを受けかねない(実際に受けた方も多くいます)ことから、「自分はハンセン病を患っていた」ということを隠しながら暮らさざるを得ません(現在もそういう部分があります)。また、ハンセン病は後遺症を導くことも多い病気であることから、後遺症を抱えた退所者は、後遺症が人目につかないように暮らさざるを得ません。
 こうした苦労を抱えながらの退所生活を送ってきた退所者が、沖縄には多くいます。

最近

 こうした背景から、私は最近、退所した方に退所生活の実態を聞き取る研究も行っています(もちろん療養所にいらっしゃる方にもお話を聞いたりしているのですが)。
 聞けば聞くほど、「健康」や「普通」でない人々が苦労を負わされる社会状況が見えてきて、悔しさと反省とが混ざった感覚を持ちます。
 そうした中で、「退所者に苦労を与える社会の在り方ってどういうものか」「それに対して退所者はどう向き合ってきたのか」を考えながら研究を行っている感じです。
 次は、今回の沖縄調査について簡単に述べたいと思います。(Y.K)